3月9日

お世話になります。 アウラの野々山です。

暖かい日も増えてきましたね。 一雨ごとに暖かくなっていく気がします。

私の自宅にはサクランボの木があるのですが今にも花が咲きそうなほど芽吹いていました。

普通のソメイヨシノよりちょっと早いんです。

うちでは今年 中学を卒業する息子と小学校を卒業する娘がいます。 息子に関しては受験真っただ中で何となく家の中がピリピリしています。

娘もどことなくセンチメンタルな雰囲気ですが、どちらにしても夢に向かって頑張ってもらいたいと思います。

 

今日はちょっと介護のお話をしたいと思います。

介護ってなんだろうと考えることがよくあります。

介護の世界に入って15年になりますが、いまだに答えは見つかりません。

教科書にはそれっぽいことが書いてあります。

利用者がその人らしく生きていけるようにサポートし、残存機能を活かし、元気に過ごしていけるようにすること。 まーだいたいどんな教科書を開いてもそんなことが書いてあると思います。

でも現実はそんなことがないことの方が多いんです。

私がこの仕事を始めたころ 最初は通所リハビリでした。 そこにご夫婦で通われる方が見えました。

大変仲の良いご夫婦でした。 ご夫婦と一緒にお隣のおじいさんも通ってきて見えました。

ご夫婦のだんなさんとお隣のおじいさんは飲み友達で、週末には二人でどちらかの家に行ってお酒を飲むのを楽しみにされていました。 当然ご高齢の方たちなのでそんな飲まれるわけではないですが、一合二合のお酒を二人で飲まれるのを楽しまれていました。

そんな日が続いたある日突然 ご夫婦の奥様が倒れられました。当時85歳くらいだったと記憶していますが、品のあるきれいな方でした。 倒れられて、病院に入院され、旦那さんはデイの休みの日には毎日病院に行って看病されていました。 ですがその甲斐もなくその後奥様は亡くなられてしまいます。

お葬式も終わり落ち着いたころに旦那さんはまたデイを利用されるようになりました。ある日僕に腕時計を出され、これをもらってくれないか、とお願いされました。 当然お断りしましたが、奥様とのおそろいの時計で、もし自分に何かあったときに処分されてしまうと嫌なのでもらってくれないかということでした。 当時の上司に相談しましたが、答えは職業的にはNOだと、ただ私は聞かなかったことにするよと言ってくれました。 今思えばできた上司だなーと感謝しています。

その答えを受けて僕は じゃあ預かっとくねって時計を受け取りました。 嬉しそうに微笑んでくれました。

そんなことがあり、いつもの友達のお隣のおじいちゃんがだんだん衰弱してきてしまうのです。

お酒が飲めるそんな状態ではなくなってきてしまいました。 その頃からです。 旦那さんから今度一杯いこうよ。お酒好きなんでしょ?ってお誘いを受けるようになったのは。 気持ちは痛いほどわかりました。長年連れ添った奥様を亡くされ、家で一人になり、友達も弱っていく中で、楽しみを見つけることもできずに、すごく紳士な旦那さんでしたので、そんなこと言えば僕が困ることも理解していただいたと思います。それでも言わずにいられなかったんだと思います。 当然また 上司に相談しました。 さすがにそれは許可できないといわれました。

そういわれることはわかっていました。そんな話のなか、お隣のおじいちゃんも亡くなってしまいました。 旦那さんは気丈に振る舞ってはいましたが、淋しい顔を見せる事もありました。

旦那さんはある日 デイの送迎で送ったときにちょっと待っててと 一度家に入り中からお酒をもってきてくれました。 2合瓶でした。 これ持っててくれないかと、そして今度一緒に飲もうと、

その時はさすがに断ることができずにこれもまたじゃーあずかっとくねと預かりました。

だんなさんは優しい笑顔で微笑んでくれました。 楽しみにしとくよと一言だけ言われました。

その時ばかりは仕事を辞めて友人として飲みに行こうかとも本気で考えました。けどその時はもう妻も子供もいて当然生活もあって僕にはできませんでした。

その数週間後、旦那さんは突然亡くなりました。 心筋梗塞でした。

その時に思いました。 介護ってなんなのか、その旦那さんのニーズはただ 隣にいて一緒にお酒を酌み交わしたいということだけなのに、 介護を仕事としているのに、何もしてあげられない。

介護ってなんて弱いんだって、本当にその人がして欲しいことはできずに、表面上その人らしくって、したくもないリハビリをさせられて、介護は弱い!!そう思いました。

その日はグラスを二つ並べて預かっていたお酒を開けて二つに入れて飲みました。 一言ごめんなさいと呟いたら、涙があふれて止まりませんでした。

その時から介護は強くなければと思いました。 本当のその人のして欲しいこと望むことを

出来なければ少しでも笑ってもらえるように、しようと思いました。

もちろん仕事でしているので無理なこともたくさんあります。 でも仕事だから他人だからできることもあるはず、そう思って今まで仕事してきました。

知識が必要だと思えば、必死に勉強しました。 技術も誰にも負けないように練習しました。

もう二度と後悔したくないから。 といいながら今でも後悔や悔しさの連続ですが、少しでも笑ってももらえるようにと考えています。 誰一人も好きで年を取り、老人と呼ばれるようになった人は見たことがありません。 みんな家に帰りたいに決まっているし、だれかの面倒になってまで生きたいと思っている人の方が少ないと思います。 なんなら、早くお迎えこないかなーと思っている人の方が多いかと思います。

そんないろんな気持ちがある中で、一瞬でも笑って忘れられたらいいなと思っています。

それがまた介護の一つではないかと、人と人がする心のこもった介護なんじゃないかと

 

Tさん 僕は ちゃんと介護できてますか?

あの時は何もできずにごめんなさい

世の中も僕も 介護は少しは強くなりました。

いつか僕がそっちに行ったらその時はちゃんとお酒飲みましょ

それまでボケずに忘れないでくださいね。

今日も僕の自宅の書斎ではTさんから預かった時計は動き、時を刻んでいます。

これからもきっと答えのない介護に向かって答えを探していきたいと思います。

 

今日は長くなりました。

またよろしくお願いいたします。