2月23日
お世話になります。 アウラの野々山です。
今日の写真は事務所から見たデイサービスの光景です。
仕事の合間にここから利用者さんを見て にこにこ癒されています。
私事ですが、先日義父が亡くなりました。
1年8か月前にガン宣告されて、闘病の末に逝かれました。
私は妻と同級生で15歳からの付き合いで、結婚してからも16年たちました。
その間、私の父親としていてくれた人でした。
意見が合わずにどうしても好きになれない時期もありました。
結婚してからは、二人で飲みに行ったりとかわいがってももらいました。
偏屈物で頑固者そんな人でした。
仕事は中卒からガンが発覚するまで50余年大手企業に勤めあげました。
始発で仕事に行き、21時頃に帰宅するそんなことを家族のために数十年されていました。
本人には家族で話し合って、告知はしませんでした。
去年11月頃より体調を崩しがちになり、12月はほとんど入院していました。
全身に転移し、腹水は溜まり四肢にも浮腫が出ていました。
死期が近いと私だけでなく周りも薄々感じていました。
正月に強行で家族旅行に行きました。 お義父さんお義母さん 妻の兄弟夫婦 孫 総勢大人8人子供8人の大人数でした。
幸いにも私には若干介護の知識があり、旅の間は車椅子を押して、介助していました。私の中3の息子も嫌な顔せずに車椅子を押していました。
大人たちは誰もが最初で最後の家族旅行になると思っていました。
孫たちは無邪気にみんなの写真来年の年賀状にできるといいねーといっていました。
大人たちは苦笑いしかできませんでした。
全員でとった唯一の集合写真は車椅子に座って真ん中で今まで付き合ってきて一度も見たことないほどの穏やかで朗らかな笑顔で映っていました。
かえって来るとやはりまた入院されてしまいました。
自宅から病院まで車で一時間ほどかかるため自宅の近くに転院することになりました。
家族は医者からももって数か月と宣告されました。
次このまま転院すると二度と家には帰れないそんな話をされました。
急ピッチで自宅に帰れるような手配をしました。
身の回りのことはまだ自立されていたのでその間は自宅で過ごしてもらおうと家族で話し合いました。
本人は通うのが楽になること等を理由付けしあくまで告知を避け家に帰ることを承諾してもらいました。
医者から宣告されて10日後退院しました。
立ち上がりに若干介助が必要だったものの自立した生活をしていました。
本人の兄弟の方たちも来てくれて穏やかな時間が過ぎていきました。
退院して初めての日曜日は家族が全員そろって夕食を食べました。 少し食べすぎだなと思うほど食べていました。孫たちはいつも変わりなくにぎやかに楽しい夜でした。
その日の21時過ぎお義母さんから一本の電話があり様態が急変し救急車を要請しました。
急搬された病院で分かったことは 脳腫瘍がだいぶ大きくなっている事 肺にも転移が進みレントゲンはほぼ真っ白でした。
運よくその日は一命を取り留めました。 次の日目にしたのは あまりにも変わった姿でした。
認知症のような症状がでてわからないことがほとんどで日に日に変化があり この仕事を長くしている自分でも見たことのないほど落ちていくのが早かったでした。
ただ食事は最後まで出されたものを一生懸命食べていました。
あのレベルの末期がんでは最後 倦怠感が強く食事が食べられなくなり 食べたくなくなり衰弱していくのに出されたものは食べようとしていました。 生きようとしていました。 生への希望を諦めていませんでした。
亡くなる3日前までプリン等食べていました。 その日にはお義母さんの誕生日会を少し早かったですが病室で行いました。 その頃には起きている時間の方が短かったですが。 笑顔で写真が取れました。
それから二日後 みんなに看取られながら逝きました 絵に描いたように眠っているような安らかな顔でした。
私の娘二人も病室にいました。 苦しそうな呼吸を見てるのがつらいと最初は病室を出ていきましたが、「じいじが一生懸命生きて、人ってこうやって死んでいくんだよ 見てやって」というと
涙をこらえて病室でじいじに声をかけていました。
最初に医者からあと数か月といわれてから 28日目でした。
家にいた時最後に お風呂に入れました。
最後までまじめに薬を飲んで、ゴハンを食べようとして苦しいはずなのに一言も弱音を吐かずに
安らかな顔をして逝って
最後の最後に男としても父としても夫としても祖父としても 見せつけられました。
68歳とまだまだ若かったのに本人も悔しかったろうに最後まで生を諦めず周りの心配をしていました。
お義父さん、、、
一回くらいオヤジって呼びたかった
もっと一緒に酒を酌み交わしたかった
一緒にゴルフに行こうって約束したじゃん
そんなことを葬式が終わって家に帰ってきて 遺影の前で 二人分のお酒を入れ
献杯をしました。
私も後悔のないように一日一日を大切に生きたいです。
私の好きな言葉の一つに
今生きている今日は昨日亡くなった誰かが生きたいと叶えられなかった今日だ
てのがあります。
今まで以上に言葉が身に沁みます。
今日は長文になってしまいました。
それではよろしくお願い致します。