平成31年4月26日

お世話になります。 アウラの野々山です。

平成も残すところ数日となりました。

来週にはもう令和ですね。 何気に楽しみです。

世間は明日GW 10連休の方も多いかと思います。 

弊所は入居者の方もいらっしゃるので、当然365日24時間誰か職員がいて、働いてくれています。 

世間の休みも関係なく仕事をしてくれているうちのスッタフには感謝です。

少しづつですが、このブログもいろいろなところが更新しています。

気づかれましたら、ご一報いただけると小躍りして喜びます。

今週は介護職としてということを書いてみようかと思います。

私は、この介護業界に足を踏み入れて、もう15年になりました。この四月で16年目になると思います。

その間に介護業界を取りまく、環境は大きく変化したように感じます。

この世界に入ったときにはまだまだたくさんの明治生まれの方もいたし、外国人介護職なんてとても無理だろうと思っていました。

それが今は、外国人労働力も珍しくなくなり、明治生まれの方はほとんど見なくなってしまいました。

私も25歳からずいぶん年をとってしまいました。

私が介護職をしようと思ったきっかけを少し。

私は高校を卒業して板前さんになりました。 

1人単価30,000円くらいの名古屋では有名な高級料亭で修業をしました。給料は手取りで7~8万円くらい 休みは月に二日ほどでした。 

そこに4年ほど勤めました。 その頃中学から付き合っている彼女がいました。 その彼女と結婚したかったので、彼女のお父さんに結婚を全体にお付き合いしたいと報告したら、その給料で、娘をやれるかといわれ、半年間無視されました。

まーそんなこといいのですが、その料亭をやめました。 その後紆余曲折あり、スポンサーがついてくれて、自分で店を出すこととなりました。

創作居酒屋でした。 当時23歳でした。 

朝の9時から夜中の2時まで働いていました。 

それなりに黒字も出して楽しかったでしたが、そのスポンサーの都合で店をたたむこととなりました。 

ショックでしたがそれ以上に1日16時間以上働いていたので、少し休みたかったでした。 

会社都合の失職でしたので、すぐに失業保険がもらえました。その当時 失業保険をもらいながら、ヘルパー2級をとれるという職業訓練がありました。 半年間の通学でした。 

単純に半年間仕事をしなくていいと思って、行くことにしました。 

そこでの研修もそれなりに楽しかったです。興味がなかったわけでもなく、小さいころから親に 五体満足で生んでやったんだから、困った人を助けるのは当たり前だといって育てられたのと、なによりおばあちゃん大好きっこでした。 そのおばあちゃんも私が20歳の時に他界しましたが、その時何もできなかったのがもどかしかったのを覚えています。 

そうこうしているときに 施設実習がありました。一週間の予定でした。 実習しながらも終わったらまた料理界にもどるんだろうなと思っていました。 

そこで目にしたのは、にこにこと利用者とお話ししながら、座って仕事をしている職員さんでした。

私はそれまで、朝から晩までハードワークでやっていたので率直に楽そうだなーと思いました。

そこで仲良くなった認知症の(当時は老人性痴呆と呼ばれていました。)女性の方がいました。

かわいらしくちょこちょこ歩くどことなく祖母に似たおばあちゃんでした。 

昼食の時間になり、そのおばあちゃんを呼んできてッて職員さんに言われ、食堂まで手をつないで、行きました。

おばあちゃんは食事用のエプロンをかけてどこか落ち着かない様子で座っていました。

その日の食事は今でも忘れませんが、ご飯 コーンスープ ハンバーグ ほうれん草のお浸し パイナップル でした。 

でそのおばあちゃんの食事を見ると すべてがミキサーにかかっていました。 そして ご飯だけが大きめのドンブリに入っていました。 

職員さんはおもむろに、ハンバーグのミキサーほうれん草のミキサーをドンブリにいれコーンスープもドンブリにいれ最後にはパイナップルのミキサーもドンブリにいれ、グチュグチュにスプーンで混ぜておばあちゃんに食べさせていました。 今思えば 認知症もある方なので、もしかしたら何かしら理由があったかもしれません。まーどんな理由でも私はしませんが、、、、。

当時の私には衝撃でした。 それまで美味しいものを提供することを生業としていたので、そんなものを食べさせられていることの衝撃を受けました。

その時にそんな利用者さんにもおいしいものを食べてもらいたい、それには今は介護の勉強をしなくてはと思い 介護の世界に飛び込みました。

それからは、大変な事もたくさんありましたけどなんせ楽しかったです。

利用者さんと一緒に爆笑したり、悲しんだり、慰めたり、慰めてもらったり、ねぎらってもらったり、最期を看取ったり、怒られたり。 まーいろんなことがありました。

それでまた紆余曲折あり。今はアウラにいます。 その紆余曲折はまた機会があれば書きたいと思いますが、そんな介護を始めたきっかけの思いがあり、毎月イベント食として、いろんな料理を出しています。 

今日の写真は先日のてんぷら食べ放題の時です。 

懐石料理を出したり、ウナギを目の前でさばいて焼いた、お寿司を握ったり。 いろんなことをしてきたし、これからもいろんなことをしていきたいと思っています。

昼食に食べておやつの時には、昼食に何を食べてか忘れてしまう方の方が多いですが、それでもいいんです。 

食べたときに美味しいっていう笑顔は本物なので、その一瞬は美味しいって思ってもらえたので、ということで私の15年にわたった夢は一つかなったかなと思っています。 

いろんな気持ちで介護の仕事をしている人がいると思いいますが、みんなそれぞれに始めようとした時の気持ちがあると思います。 

そんな初心を忘れずにやっていくことも大切なんだろうなと思います。 

最後に 22歳当時に結婚したかった彼女は今は幸せになっているかは、知りませんが、3人の子宝に恵まれたそうです。

幸せでいるかどうかは、わかりませんが、今日の朝も私の子供と楽しそうに話をしていました。 

そして半年間無視され続けた義父は去年亡くなり生前最後の入浴は私が入れました。

まーそんなこんなで今後も介護をとりまく環境は目まぐるしく変わることと思いますが、いつでも楽しくいきたいと思っています。 

長くなりました。 それではまたよろしくお願いいたします。